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2008年7月 5日 (土)

アホウドリを絶滅の瀬戸際に追い込んだ張本人は大東諸島開発の英雄

02sもう2カ月になりますが、5月の連休に南大東島に旅行してきました。

南大東島には、那覇から琉球エアコミューター(RAC)という会社の飛行機に乗ってゆきます。

南大東島訪問の第一の目的は、島の自然を観察すると同時に、現地に長期滞在して仕事をされている方達の仕事のようすを見学させていただくことにあり、実地に見学して非常に有意義な時間を過ごすことができましたが、いわば第二の目的として、同島を訪問したらぜひ訪れてみたかった玉置半右衛門の銅像や碑をたずねることがありました。

明治時代に北西太平洋に無数に生息していたアホウドリが、輸出用の羽毛採取のために絶滅の瀬戸際まで追い込まれたことは有名ですが、最も重要な繁殖地であった伊豆諸島の鳥島で、玉置商会という会社組織でアホウドリ採集の事業を行ったのが玉置半右衛門(たまおき・はんえもん*、1838-1910)です。

S_3玉置半右衛門は羽毛採取で財をなしたあと、大東諸島の開発に乗り出した結果、大東諸島では開拓の祖として尊敬されており、銅像も建っていると聞いていたので、ぜひ見てみたいものと以前から考えていました。

開拓者たちが最初に上陸したといわれる西港にほど近いキャンプ場の脇に、海に向かって玉置半右衛門の銅像が建っています。また西港から中心街の在所という場所に行く途中に玉置公園があり、そちらには「玉置半右衛門君紀念碑」があります。

02sこの碑の側面にある文章は志賀重昂(しが・しげたか、1863-1927)が書いたもので、漢文脈の文章で玉置半右衛門を明治の「一偉男子」と讃えています。志賀重昂は明治の地理学者、文化人で、「日本風景論」という当時のベストセラーで知られ、高等学校の日本史の教科書にも出てくる人物です。

言葉遣いがむずかしいので現代語訳してみました。

玉置半右衛門君紀念碑
【現代語訳】
『絶海の無人島を4カ所開発し、そのうちひとつからは鳥の羽毛を採取して海外諸国に輸出し、ひとつからは燐鉱石を発掘し、あとのふたつからは砂糖を1年に十万担にのぼる量生産して、これによって一万人の人々の生活を十分に成り立たせたのはまことに世にもまれな大仕事というべきものです。しかもこの島々を開発した人はもともと海辺のはずれの村に生まれた字もまったく読めない貧しい男で、政府にも富豪にも頼ることなく、まったく元手のないところから身を起こし、ただ度胸と知恵だけで初めから終わりまで貫いたものです。このようにまさに明治の歴史中の1人の偉男子と呼ぶにふさわしい人が玉置半右衛門君その人です。玉置君は天保9年10月1日八丈島に生まれ、51歳で鳥島を開発し、63歳で南大東島、北大東島を開発し、69歳でラサ島(沖大東島)を開発し、明治43年に鳥島に渡航した帰路、船中で発病し、東京に帰って11月1日73歳で亡くなりました。ああ、君は老いてますます盛んに事業を行い、その最中に倒れて亡くなってしまったことはまさに偉男子の面目躍如たるところを見る思いであります。南北大東島は今や東洋精糖株式会社の所有になり、両島の住民は6000人、尋常高等小学校在学の児童は450人おり、内地との交通には1千トン級の汽船があり、一般用の無線電話があり、6000人の人々は喜々としてこの場所で人生を楽しんでいます。このことはまさに玉置君がこの島を初めて開発したお陰でもたらされた恩恵であります。この恩恵に浴する人々が君の功績を思い起こし、協議の上、碑を建てて功績を後生に伝えようと考え、私に碑の文章の執筆を依頼してきました。私は玉置君を、君の鳥島探求の時から始まって臨終の時まで知っているという親しい間柄でしたので、文章が下手なのを口実にどうしてこの依頼を断ることができるでしょうか。そこでここに上記のように君の事業のあらましを記すものです。

大正12年7月
志賀重昂しるす』

碑はそもそも讃えるために建てるものですから当然ですが、すごい讃えようです。鳥の保護に関心のある身からすると、現代の私たちがアホウドリの復活のためにとてつもない労力をかけており、また大東諸島でも開拓の結果、リュウキュウカラスバト、ダイトウミソサザイ、ダイトウヤマガラ等が絶滅したことを知っていますから、この讃えようは信じがたい気がしますが、生物多様性が大切などという考えが本当に社会に受け入れられるようになったのは本当に最近なのだということをもう一度考えなければならないのかもしれません。

戦後何十年も経った時でさえ、鳥類保護運動に対して「鳥と人のどちらが大切なのか」といった反論が平気でされていたのを少し年配の方はご存じなはずです。「生物多様性」といったことが守るべきものとして、生物学者以外の一般社会にまで本当に広く認められるようになってまだ10年と少ししか経っていないのです。明治時代、無数にいるアホウドリを殺して人々が生活することがおかしいとは大多数の人はほとんど考えもしなかったのでしょう。

漢文脈の文章を辞書を引き引き読みながら、人間と野生動物の関係に思いをいたし、時代によって当たり前のことは正反対になることもあることを改めて痛感しました。

(冒頭の写真は、クビワオオコウモリのうち、大東諸島に分布する亜種ダイトウオオコウモリ。2008年5月南大東島にて)

(*注)玉置半右衛門の読みについては、当初、国立国会図書館の「近代日本人の肖像」ページに従い、「たまき・はんえもん」とし、この注記もその旨を記していましたが、同ページが、「たまおき・はんえもん」と訂正しているのに気づきましたので、こちらのページでもそれにあわせて修正しました<2013年5月11日修正>)。


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コメント

大東島は、八丈島と沖縄の混じった不思議な島ですよね。都立大学のダニエルロングさんが言語の研究にいってますが、方言の面からもおもしろかったようですよ。

ダイトウオオコウモリのオスはオレンジが美しいです。最近行ってませんが、1988年に初めてオオコウモリというものに出会った島です。

オオコウモリさん、さっそくのコメントありがとうございます。連休なのに観光客が数えるほどしかいないのも新鮮でしたし、直前に書店に行って、山渓やらJTBのガイドブックがないのにもびっくりしました。もちろんオオコウモリさんのガイドブックがとても重宝しましたよ(^^;)

1.鳥島のアホウドリを絶滅・・・に関し
 
 確かに人為的に乱獲が鳥島のアホウドリ を壊滅に近い状況(全盛期の20%ほど か?)まで追い込んだ時期がある。当時 の資料にもその非難があったと記憶する 。しかしこれを鳥島のアホウドリ絶滅に 直結するのは歴史的事実(結果)に反す る。
 開拓のせいでアホウドリは人の寄り付き がたい巣立つまでの場所としては適さな い岸壁に追いやられ壊滅又は他の島へ移 動しつつあったのは事実。しかし開拓民 もろとも島の生物を壊滅したのは火山爆 発である。皮肉にも人為的虐殺が鳥たち へ危険の警鐘となり、多少とはいえ事前 に他島へ非難させる結果となったのも事 実と思います。
 玉置氏の行為を擁護している訳ではあり ません。鳥類保護(と言うより自然環境 保護には大賛成です。)ただし歴史的事 実は正確に記述しないと後の人々に判断 を誤らせます。
 玉置氏が人間的に同であったかは、歴史 的に明らかで政商と称される者達とほぼ 同じです。
 しかし現在こうも人間達が自然を支配し ている中、又そこには餓死寸前の人々も いるという中、環境を人間の経済社会を 歴史的に分析し人間以外の自然とどのよ うに共存するか、地球をどのように浄化 するか、人間はどこまできるか、いま何 を最初に行うべきか。いま自分は何がで きるか、そのためには何を犠牲にしなく てはならないか等々考えなくてはいけな い。史実を手本に・・・・
 何を言っているか判らなくなったが、事 実を正義の為であろうと歪曲してはなら ないと言うことです。

明治以降の鳥島の爆発は1902年8月9日頃、1939年8月18日です(淵本一, 1967. 鳥島の歴史. 気象庁鳥島クラブ「鳥島」編集委員会(編).鳥島. 刀江書院. pp, 17-24.)。アホウドリは、秋〜冬〜春に繁殖地に滞在し、夏には北太平洋に移動しますから、噴火のあった8月には鳥島にはおらず、このことから2回の噴火によって直接の被害を受けたアホウドリはも1羽もいなかったと断言できます。

アホウドリの明治以降の激減の理由として人為以外のことがら(たとえば海洋環境の変化)を指摘している人はいません。もちろんその人為が全て玉置半右衛門のしわざというわけではなく、鳥島以外の島では別の人々がかかわってむしろ鳥島より早く減少から根絶にいたったと考えられていますが、最後の大生息地となった鳥島での激減については玉置半右衛門の事業抜きには考えられないものと思います。

二世代で事業が途絶えたのは、悪行が原因でしかありえないでしょうね。子供は放蕩三昧典型的です。

玉置さんが捕りすぎたという結論にしかならないと思うんですが。。たまたま噴火の時期にいなかっただけで被害を免れただけでいずれは滅びたと言う人は、もし車にはねられたときは、たまたまそこにいたからはねられてしまいました、クルマの前にでてごめんなさいといってください。僕らは自然の一部だけど、人間なんです。

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